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祝・先崎勝利!

つーか、途中で完全にどうでもよくなった藤井の方がむしろおもしろかった。勝利を記念して先崎テンプレをコピペ。

 1.1970年生まれ。米長邦雄永世棋聖門。
 2.小学校4年生の時に内弟子に。同門に林葉直子女流王将
   中川大輔七段、伊藤能五段、長岡裕也四段。
 3.佐瀬門下になるはずだったが、「有名人じゃなきゃイヤ」と駄々をこね、
   何かと有名だった米長が引き取ることに。
 4.師匠のことは「米長!」と呼び捨て。この模様をテレビの米長密着ドキュメントで
   観た神吉宏充六段は「すごい子供もいるもんや・・・・・」と驚嘆。
 5.内弟子時代の主な仕事は、師匠に新聞内容を注進すること
   (「○○の株は上がりそうだから買え」等)や隣に住んでいた能さん(伊藤能)を起こしに行くこと。
 6.中川七段は、先崎がいるから米長門を選んだ、という話。
 7.林葉と二人で新宿将棋センターへ将棋を指しに行っていたが、
   両者ともにエキサイトする性格であった模様。
 8.中学進学を機に内弟子を解消。
   記録係での所作が故芹澤九段の目に留まったのもこの頃。
 9.芹澤死去の直前に四段昇段。
   若獅子戦優勝、NHK杯優勝など、棋士としての快進撃が始まる。
10.竜王戦6組決勝対佐藤康光戦。純粋居飛車党の佐藤に対し2手目△32金と挑発。
   ぶち切れて飛車を振った佐藤を圧倒し優勝。大一番で挑発が決まりご満悦。
11.その佐藤康光と今度は竜王戦の挑決という大舞台で当たる。
   が、短パンにポロシャツというラフな服装で登場。
   師匠から「心構えがなってない若手がいる」と著書でいびられる。
12.飯田六段が静岡大に招聘され、順位戦を全局不戦敗となったときに、
   「飯田さんと当たっている棋士だけ1勝丸儲けなのは不公平」とごねたところ、
   師匠に「こんな棋士には女神は微笑まない」と著書でいびられる。
13.大山十五世名人の葬儀を欠席し、羽生に「香典出しておいて。お前と同額」
   と頼んだところ、羽生が数十万包んだ件について「あいつおかしいですよ」と
   師匠に泣きついたところ「大山先生の葬儀に出られないほどの用とは何なのか」
   と叱責され「こんなつまらない若手がいる」とまたもや著書でネタにされる。
14.著書でネタにされた腹いせか、竜王戦のTV解説で師匠の手を
   「ブタのような手」と評す。たまたまテレビを観ていた師匠は即刻現場に電話。
   関係者から「師匠から電話アリ」の一報を受けて一言。「師匠もヒマだなぁ」
15.師匠の名人戦の途中に「どうせ今回も負け」と雑誌に寄稿。事実負けたが、
   「さすがにそれはないだろう」と能さん(伊藤能)に怒られ丸坊主に。
   周囲は皆「ああ怒られたんだな」と思ったが、本人と河口(俊彦)は
   「森と対局するから坊主にした」と屁理屈を押し通す。
16.師匠の名人記念出版(「泥沼流振り飛車破り」)に
   「櫛田と見分けがつかない」と書かれてややヘコむ。
17.C2を苦難の末脱出してからはA級まで猛スピードで上がる。
   A級昇級時はキャンセル待ちだったが、特に動じる様子はなく
   いつも通りだった、と将棋世界順位戦ドキュメントに書かれる。
18.奥方は囲碁女流棋士の穂坂繭。
   先崎自身大の囲碁好きだが、奥方には一切教わらない。
19.週刊文春のエッセーは好評で、将棋ファン以外にも愛読者は多い。
   だいたい2年くらいで交代となるのが通例だが、連載は3年以上になる。
20.2002年度のNHK杯、対谷川浩司戦で初手▲3六歩。
   解説の阿部隆七段に「先崎流ですねぇ」とニヤニヤされる。
   ちなみにその十年前にも同じ舞台で同じ相手に初手▲3六歩をやっているが、
   これは初手▲3六歩の公式戦第一号局。その時は敗れたが、今回は圧勝。
   決勝進出を果たすが、ひろゆき八段(三浦弘行)に惜敗。準優勝に終わる。
21.師匠との最後の公式戦は竜王戦の裏街道ながら、
   めったに着ることのない和服で対局。師匠に勝って恩返しをする。
   ちなみに「ブタのような手」と言いながらも、師匠にはほとんど勝っていない。
22.タイトル戦出場はなく、全棋士参加棋戦優勝はNHK杯だけだが、
   竜王戦とは相性が良く、ランキング戦の優勝は3度を数える。
23.昔はエッセイなどで師匠について書くことは皆無だったが、
   最近の文春の連載ではよくいじって遊んでいる。
24.師匠の引退慰労パーティの司会を担当。
   その場で師匠から「三十過ぎての反抗期はやめてくれ」と言われる。