生きているということ
いま生きているということ
それは私なんか生きている価値がないと考えること
いっそ消えてしまいたいと思うこと
生きるって何だろうと思い悩むこと
あの人のぬくもりを思い出すこと
評判が良かった、「生きる」である。
私は「あの人のぬくもりを思い出すこと」という言葉で締めくくった。
「あの人」は、母親でも恋人でも子どもでも誰でもいいと思う。
人は愛しい人のそばにいたいと願う。
しかし常にそばにいることはできない。
私たちはぬくもりを思い出すことしかできないのだ。
人は愛しい人のそばにいたいどころか、できれば一体化したいとさえ思う。
しかし、悲しいことにどれほど愛しい人といえど、それは他者なのだ。
私たちはその人の姿を見たり声を聞いたりして、愛しい人を精一杯認識しようとする。
だがそれは所詮、自分の知覚を介したものでしかない。
一体化など不可能もいいところなのだ。
でも、それが分かっていながら、私たちはなおも愛しい人を知ろうとする。
愛しい人のすべてを知ろうとする。
愛しい人の自我を、命を感じようとする。
そのどうしようもない衝動が、相手に触れるという行為を呼び起こす。
触れてぬくもりを感じる。
それでも満足できずに、
さらに強く抱きしめる。
しかし、そうして感じることのできたぬくもりでさえ、
感じた瞬間から自分が知覚を介して得たものでしかないのだ。
感じている瞬間でさえ、その感覚を思い出しているに過ぎないともいえる。
それが、私が「ぬくもりを思い出す」という言葉にこめた意味である。