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内館流相撲美学

別冊宝島「相撲どすこい読本」(1992年)に内館牧子のインタビューが載っていた。まさかこの人が横綱審議委員になるとは誰も思っていない15年以上前の話である。

―そうすると内館さんの美意識の"核"には、大相撲の伝統がつねにあるわけですか?
●うん。しっかりある。でも伝統としての様式美が好きなだけに、その反対も好きなわけ。私は横綱の北の富士が大好きで追っかけをやってたんだけど、不眠症というカルテで相撲協会に休場届けを出したでしょう。あれはすごく素敵だと思った
―ありましたね。四十七年の夏場所、ひとり横綱の重責に耐えかねて不振が続いていました。
●ライバルの玉の海が亡くなった後でしょ。あの古い体質の相撲協会に、堂々と不眠症のカルテを提出させた九重親方(元・千代の山)もすごい。結局、笑われながら、怒られながらもかもしれないけれど、受理された。その後は、なんとハワイへ行ってザンバラ髪でバンダナ巻いて波乗りやってるわけですよ。
―あれも物議をかもしましたね。相撲界としたら前代未聞ですから(笑)。
●でもね、一連の意表をついた行動を見て、北の富士もまた彼岸にいる二枚目力士だと思いましたよ。つまり私は相撲取りの、絵に描いたような古さがとても好きなんだけど、その封建的な世界で、とんでもないことをやらかした力士が、日本を離れてバカンスを楽しんだのがとてもチャーミングに映った
―伝統文化の中の破調の美学という感触でしょうか。
●そうそう。(以下略)

全体を読んだ印象では、要するにこの人は土俵上の強弱やパフォーマンスにはほとんど興味が無い。相撲の最大の魅力は様式美であり、力士は彼岸にいる究極の美男子だという観点で相撲を観ている。感情をむき出しにする力士は好きじゃない、それは彼岸の神々が此岸に来ちゃうから。朝青龍が大嫌いなのも納得がいく。
ところが、引用部のように、様式美を壊すのもまた美だ、みたいな話で、北の富士の不祥事を擁護するどころか、むしろ絶賛しちゃってる。
以上のことから、この人が仮病事件以来朝青龍を批難し続けているのは、その行為がけしからんからではない。朝青龍に内館流の美がないから、すなわち、ただ「朝青龍が嫌いだから」という以外に理由はない、と推察できるのである。