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梅佳代はとっくにカントを超えている

カントは人間の理性で認識・理解できるものには限界があるとした。私たちがある「もの」を見たとき、それは私が認識した「もの」にしか過ぎず、あるがままの「もの自体」のすべてを捉えることは文字通り神業だと言った。
ニーチェはカントを批判した。「もの自体」すなわち「客観」などないのだと。世界とはただ様々な「主観」が渦巻くカオスなのだと。
先日、トップランナーに出演した梅佳代に観客が質問をした。人にカメラを向けるとその被写体がどうしても構えてしまう、梅佳代のように被写体の自然体を捉えるにはどうしたらよいのかと。まず梅佳代は具体的な例として、例えばお祭りとか花見会場のように人が自然に被写体になってくれるような状況があると説明した。しかし注目すべきはその後に発せられた彼女の哲学的な言葉であったと思う。曰く、「そもそも自然体とは何なのか。あなたがカメラを向けて被写体が構えてしまたとしても、それはそれで自然体なのではないか。」
言い換えれば、その人の「自然体」なんてものはないのだ。そこにはただ、梅佳代に反応する梅佳代が見た被写体、観客の彼女に反応する観客の彼女が見た被写体、がいるだけなのだ。そうして時間と空間はカオスのように渦巻いていく。梅佳代はそのある一時を切り取って見せているに過ぎない。