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中崎タツヤはアサッテの人より上か

本サイトでも中崎タツヤのすごさについては何度か語っているが、このsublogでも何度か語っているので、いっそのこと「中崎タツヤ」カテゴリーを新設してみました。前回は、中崎タツヤは「べつやくメソッド」をトウの昔に思いついていたという話をしましたが、今回は芥川賞受賞作品、「アサッテの人」を読んで想起した中崎作品を紹介します。私は種村孝弘も澁澤龍彦もよく知らず、諏訪哲史作品に関しては何のバックグラウンドも持たずに読まざるを得なかったのですが、無意味が次第に「無意味という意味」を有してしまう宿命を背負ってることの苦悩、といったところが主題なんでしょうか。でも、チューリップ男が(監視カメラの存在に気づいていないとすれば)唯我の世界で悟りを開いているとすれば、他人に向かって無意味な言葉を発する叔父さんは足元にも及ばないのでは?という疑問はとりあえず抱きつつ、叔父さんの「無意味」が結局は形式化してしまうラストシーンには寂しいものを感じました。さて、無意味が形式化してしまうと何となくそれ自体が意味を持ってしまう、これは「儀式」だと思うのですが、「儀式」はそもそも意味のあった行為が形骸化して無意味になったものでもあります。まあ、そんなことは、すでに前世紀の話になりますが、「じみへん42」いわゆる「石田家コタツ納めの儀」で、中崎タツヤが世に問うておるのでございます。

中崎はメシヤで、各作品集は福音書のような気がする。