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はらわたが煮えくりかえる思い

少し古めの話題になるが、少年がホームから人を突き飛ばして死なせた事件で、被害者の父親のコメントが心に響いた。「将来社会に役立つことで罪を償ってほしい」と、そのような内容だったと記憶している。「本当ははらわたが煮えくりかえる思いですよ」と付け足しつつ、絞り出すように語ったその言葉は、もしそれがそうすることで自分の怒りや悲しみを癒すためのものだったとしても、感銘を受けるに値するものだったと思う。ただ、番組によっては「はらわたが煮えくりかえる」の部分だけを編集して流すものもあり、マスメディアの無自覚な罪に悲しい気持ちにもなった。

全く関係ないが、このことで思い出したのが、何年か前に元ハンセン氏病患者の入浴を拒否したホテルの話だった。私が意外に思ったのは、ホテル側に同情する意見が多く、ネット上でも「そうは言っても実際に自分がいっしょに入るとしたらやはり気持のよいものではない」といったいわば自分に正直な書き込みが目立った。私はたとえ自分の感情がどうあろうとむしろ歓迎していっしょに入る自分を想像する。ここで私はことさら元患者側に立った正義を説くつもりは全くない。むしろ誰も見ていないところでそのような状況が事実となった場合、本当に自分がそのような行動をとるのかは分からない。ただ私はいっしょに入る自分を想像することしかできない。そして、いっしょに入ったあとどのような感情に陥るだろうかと想像する。本当に何の偏見もなくいっしょに入れたことを幸せに思いたい。ところが、いっしょに入った自分の姿に悦に入る、ナルシシズムの自分がそこにいるのではないだろうかと思うと、急に自分が恐ろしくなる。

自分に正直であること、本当の自分をさらけ出すことは良いことだろうか、悪いことだろうか。そして逆に、本当の自分を隠すことは良いことだろうか、悪いことだろうか。

そもそも本当の自分とは何なのだ。「感情」が本当の自分なのか。感情を制御して、あるいは克服して、あるいは感情を超越した言説や行動を起こすことは、本当の自分がやっていることではないのか。