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観念と呼ぶにはあまりに生々しく

そのとき順子は、焚き火の炎を見ていて、そこに何かをふと感じることになった。何か深いものだった。気持ちのかたまりとでも言えばいいのだろうか、観念と呼ぶにはあまりに生々しく、現実的な重みを持ったものだった。それは彼女の体のなかをゆっくりと駆け抜け、懐かしいような、胸をしめつけるような、不思議な感触だけを残してどこかに消えていった。
村上春樹「アイロンのある風景」より

自分の気持ちを整理しようと、頭でいろいろと考えていると、その思いが言語化されていく。
でもそれは結局「観念」に過ぎないのかもしれないな。
だって私の体は私が無自覚のうちに何かを感じ、何かをしようとしているんだもの。

「過ぎない」と書くと、「観念」を見下しているようで失礼かもしれない。
それにとらわれるのも、眉と眉の間にしわを寄せながらも実はそれを楽しんでいるのも、
それはそれで人間というものなのだろう。