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Don't Feed Wild Animals !

猛暑

コウノトリもたいへんですけど、今日は群馬の館林で40度越えだそうで、ほんと暑くて困りますよね。そういえば、僕が今まで行ったところで、一番暑かったなあという思い出があるのも群馬の前橋です。7月だったのですが、まだ北海道に住んでいるときで、まさか群馬県がそんな暑いところとは全く知らなかったので、とても驚いた覚えがあります。まるで虫メガネで日光を集めて焼かれているような暑さ、暑さというより熱さといった方がふさわしく、街中ではマジで一軒ずつ店の中に入って涼みながら移動って感じでした。当時はホントに本州のことを知らなかったので、前橋っつったら関東だろ、関東っつったら東京のすぐ隣だろ、と横浜ぐらいの感覚で思い込んでいて、何も考えずに東京から普通の列車に乗ったら3時間近くかかってエライびっくりしました。その上、体験したことのない暑さでしょ。もう、内地恐るべしって思いましたね。
今日は北海道も暑かったらしいですね。釧路も30度越えですか。釧路のとなりの白糠で35度越え、史上初の猛暑日ってほんとですか? 僕も釧路に2年ちょっといましたから分かりますけど、釧路の人は気温25度以上になると生物学的に動かなくなります。釧路地方の皆さん、大丈夫ですか。ちょっと心配です。
でも明日は涼しそうですよ。オホーツク地方なんて最高気温が20度切るってマジっすか!? もうマジで帰りたいです。

エホバとの攻防の思い出

http://d.hatena.ne.jp/shy1221/20070815/p1
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20070814#p1
ものみの塔協会にはこういう医療、特に輸血のエキスパートみたいな方がいますね。熱心な信者だと術前にわざわざそういう人を連れてきます。輸血拒否と一口にいっても、実際どこまでいいのか。自己血はいいのか、血ではないけど人の血が原料のタンパク製剤はいいのか、などなど、細かく突っ込むと不勉強な信者はとまどいます。中には血(赤血球)じゃなきゃいい、と軽くオッケーする人もいますし、信者といってもいろいろだと思います。逆に、とにかく人のものが原料なものはダメなんですとおっしゃる方もいて、それじゃあ動物もダメなのかなあとか、じゃあミラクリッドとかインシュリンとかもダメなのか?と分け分かんなくなってくるので、あまり深く考えないようにします。
俺はある支部のそういう人たちと話し合ったことがあるんだけど、彼らも、新しい技術が登場するたびに、宗教的に解釈するのが大変なんですよ。以前、自己血輸血という良い方法ができたと喜ばれたこともありましたが、その後、一度自分の身体を離れた血液はダメという見解になり、貯血による自己血輸血はできなくなりました。じゃあつながっていればいいんだな、という解釈をこちらはしまして、希釈式自己血輸血という方法を提案したことがあります。これは手術の直前に採血バッグに貯血し、代わりに膠質液などを輸液する方法です。貯血バッグは重力によって自然に採血されるように床に近い低いところに置いておくのですが、それをそのまま血管につなげておき、輸血が必要になったら貯血バッグを高く上げて体に戻すという方法です。これなら血液は体と繋がっていたことになります。ところが今度は彼らは何といったかというと、繋がっていたとしても、流れて続けていないとダメと言い出したんです。くそー、ちょっとでも流れてりゃいいんだろ、っとこっちもムキになって、貯血バッグを振盪機の上に載せておいて揺らし続けるという裏技を提案したりもしました。うん、まあ少しでも流れているんだったら、いいのかな……と、彼らもだんだん弱気になってきます。
一度離れた血液でも、体と繋がっていてかつ流れていればオッケーという解釈は、おそらく人工心肺を認めるために考え出されたものなんですね。そうしないと、心臓の手術自体を否定することになっちゃいますから。でも人工心肺だって、厳密に言えば一瞬流れが止まる場面ってあるよね。とか、あまり細かいつっこみを入れると、輸血の解釈担当の人がまた悩んでかわいそうなので、もうやめましょう。
現実的な話をすると、輸血の可能性が極めて低い手術に関しては、念書にサインして無輸血で引き受ける、出血が予想される手術は、やはりそのような信者に慣れている病院に行っていただく、これが普通の医師の妥当な対応なんではないでしょうか。

「A級戦犯無罪」パール判事 安倍首相、長男と会談へ

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2007081502041129.html
パール判事の主な主張は、東京裁判の裁判憲章が事後に作られたものであり、当時の国際法の概念で裁くならば無罪だということだ。欧米の結果ありきの姿勢に対して自分の正義を貫いたわけであって、けっしてA級戦犯を擁護しているわけではない。東京裁判後は日本の憲法九条を高く評価した平和主義者だ。「A級戦犯無罪」という判決だけが一人歩きしないことを望む。