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自死

須原一秀の「自死という行き方」を手にするかどうか決心がつかない。

須原氏は現代では自然死はありえないと言い、自らの命を絶った。
私は以前、自然な死を望むと書いた。だが私のいう「自然」は自然死の自然とは違うような気がする。それはもっと運命的、というか他律的なもののような気がする。だから、「自死」と私のいう「自然な死」は矛盾しないかもしれない。それは、例えばそのときが来て私が「自死」という選択について何一つ迷いがなく納得し、そのときの「自死」が他の死に様よりもこの上なく「自然」であると思えたときだ。

本当にそんなことがあり得るだろうか。もしも将来私が呆けて「自死」という選択を思い浮かべることすらできなくなり、そうして憐れな姿で死んでいくとき、それは意味のない死なのであろうか。呆ける前に真剣に「自死」の選択について考えるべきだったと言われるのだろうか。

こういう疑問を抱いても、もはや須原氏からは何の答えも得られない。遺作の反響を知る前にそれを決行したことについて、やはり私は独善ではないのかという疑念を抱かざるを得ない。ある意味で憧れていた人だからこそ、そう確信するかもしれないことへの不安が、私の決心を鈍らせているのである。