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ひとつだけ


忌野清志郎がこんなに大きく取り扱われるのは正直意外だったなあ。僕はトランジスタラジオのアルバムとかルージュマジックとかHISは時代に流されて買ったけど、そんなに好きかって聞かれるとそうでもないし、僕より若い世代はその後の反核反原発とか君が代とかのイメージが強いんだろうけど、僕はあんまりピンとこなくて、その後はほとんど聞かなくなった。だからお葬式とかが大々的に報道されるのもどこかひとごとのように冷めた目で見ていたんだけど、どういうわけか今日になって、僕は突然、すっかり忘れていたことを思い出した。僕はナマ清志郎を見たことがあるってことだ。なんでこんな重要なことを忘れ、そして本人の死を見てもすぐに思い出さなかったんだろう。
それは僕が大学生のときだった。坂本龍一のラジオ番組が公開録音されるというので、聴衆として参加した。そのときのサプライズゲストが清志郎だったんだ。ほんとに予告なしで途中で突然入ってきて目の前を歩いていったから、まじで驚いてすごく得した気分になった。このとき教授が、清志郎の新曲か何かをうちのカミサン(矢野顕子・当時)がほめてたよみたいな話をしたら、清志郎が、ボクは矢野にほめられればそれでいいんだ、他にはなにもいらないみたいなことを言ったのが、とても純朴に感じられて印象的だった。
清志郎の方が年上なのに、矢野と清志郎の関係はまるで母親と無邪気な子どものようだ。こうして清志郎が歌詞の「わたし」と「あなた」を「ボク」と「キミ」に変えて矢野の「ひとつだけ」を歌っているのを聞くと、まるでこの曲は最初から「天国の清志郎」のために作られたものであるかのような錯覚に陥る。そして途中で一小節早く歌いだしてしまう清志郎を何事もなかったかのように見事にフォローする矢野にはまさに母親のような大きな愛が宿っている。
2日後の追記:あれからYouTubeタイマーズとかも見た。当時の僕があまりピンとこなかったのは、音楽に限らず芸術というものの中で、具体的なメッセージを直接的に表現することがかっこ悪いと感じていたからだろう。特に怒りというものは、その勢いに任せてそのまま表現すればするほど、あとでかえって切なくなる。社会との衝突や生き辛さは芸術のパワーの源ではあるけれども、そのことに正直過ぎると、結局自分自身が追い詰められてしまう。そのような芸術家はたいてい短命だ。清志郎は年をとってからそのことに気づいたのと、本気で怒っているようにみえても全部が全部本気ではなくて、たぶんおどけていた部分も大きかったのではないか。それで意外にも多くの人に愛され、58歳まで生きられたのだと思う。だとすれば病気で亡くなったことは全く不運で皮肉なことだが、もしもっと長生きしていたら、その間僕がタイマーズを思い出すこともなかったろうし、清志郎について僕が何かを書くなんてことは考えられないことだった。これも何かの啓示なのだろう。